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初心者向けアナタを堕とす0の方法

世の中の面白いことをいろいろと経験して書いていきます

はじめましてから始めましょう

ごあいさつ

初めまして。 

ここでは日頃あーでもないこーでもないとぶつくさ言っている奴が気が向いたときにだけ書くブログです。

 

どうぞ、お付き合いいただければなと思います。

 

最初は書き溜めたものをドン、と放出します。

以降もこの分量を投稿する訳ではないです。

初回サービスです。

好きでしょ?そういうの。おれは好き。

 

ではどうぞ。

 

 

Ⅰ、姿勢について

 

最近気にしていることは、姿勢だ。

今は背筋をぴんと張り、まっすぐを見据えて歩くようにしている。

おれは普段猫背で歩いている。というのも太ってきてから背中を丸めないと、筋肉が固くなっているのかわからんが、胸のあたりが痺れてくるのだ。それで俺は「しゃーねえけど姿勢悪いのは仕方ないもんねー」と自分をだまくらかして歩いている。

整体に行った時も「慣れた姿勢で歩かないとですね。徐々に治していきましょう」と言われたもんだから、すぐに治すことでもねえや、ハハ。とちょっとニヒルな笑いを浮かべてはいた。ひきつった笑いではあったのだが。

 

姿勢を変えることによって生じたメリットは2つ。

  1. 見える世界が変わった。
  2. 少し自信が持てるようになった。

 

1、については物理的な話。

いつも下を見て背中を丸めて歩いているもんだから、アスファルトの無機質な表情をぼーっと眺めてはおれはなんてクソなんだろうとなぜか自分を責めてばかりいる。

 

2、については前項で言ったことでもあるが、アスファルトばかり見つめないようにするだけで見えてくる風景からいろいろなことを思えるようになった。

そして、その風景にはいろいろな背景が存在し、人やモノの刻まれているであろう記憶を勝手に妄想したりもする。要は自分を責めることがなくなった=自信を持つ、ということなのだろう。

 

姿勢を変えることがこんなに良いことだと思わなかった。

日常で妥協している一つのことで、どれだけ自分のことを大切にしていないかが分かった気がする。

 

「明日死んでも良いや」

 

覚悟がないのであればそれってつまらないこと、勿体ないこと。

せっかく生きるのであればやりたいことやって生きたいもんだ。

そのための我慢も、きちんと調味料にできるだけの「人間力」をつけたい。

 

Ⅱ、やる気のなさ

 

最近生きていてやる気がねえと思うことが多々あった。

本当に何もしたくないのだ。

 

飯は食う。勝手に腹が減るから。

寝る。眠くなるから。

起きる。目が覚めてしまったから。

トイレ。勝手に催すから。

 

それだけだった。本当にそれだけだった。

「お前は何がしたい?何のために生きている?」

上司によく言われるが、素直に言っていた。

「いや、特に何もしたくないです。何かになりたくもないです。」

 

所謂悟り世代とか、ゆとり世代とか言われるその一人ではあるのだが、

悟っているほど大人ではないし、経験もない。

だからおれの場合は本当に怠惰なのだなあと思った。

 

何だかそんな現状に嫌気がさした。

真冬に固まった氷が春の穏やかな陽気のおかげで徐々に氷解していくように、

自分にとっての氷解のタイミングが今ここにやってきた。

そこに「流れ」が出来て自分はやっとそこに乗れるような気がした。

 

自分のやりたいこと全部書いてみよう。

不意に思い立って、手帳を開いて列挙する。

 

・人にモテたい(男女ともに)

・ギターをうまくなりたい

etc…etc…

 

どんなくだらないことでもいい、つまらないことでもいい。

生きている理由ではなく、生きたい理由を見つけようと思った。

笑われてもどーでもいいから、おれが単純に思ったこと、楽しみたいことを書いた。

筆が乗る。おれはこんなに思っていることがあるんじゃないか。

そうやって書いていくと自分は自分を抑圧していたことを発見する。

つまり、「誰しもに好かれる自分を作り上げる」ことに腐心したため、思考がショートしていた。

 

誰かに気に入られようと作った自分なんか面白くもない。

もっと自分のために生き、誰かに喜んでもらうために頑張る。

シンプルでいいと思う。雑念が多くて悩んでいただけなんだな。

知識を増やすのは大事なこと。その後に必要なのはその知識を整理して、必要な時に使えるようにすること。

使えなければ意味が無い。

 

「ここで装備していくかい?」

 

 はい

→いいえ

 

「武器や防具は装備しないと意味が無いよ」

 

最終的には整理した知識でいらないものは捨てていく。

捨てて行った先に残ったもの。それを大事にするのがいいんじゃないか。

 

Ⅲ、高学歴への逆襲

 

高学歴の人はすごい。簡単に言えばおれはそう言いたい。

けど、何故すごいかといえばいろいろあるわけよ。

 

・努力がすごい

・結果をだしたことがすごい

・計画力がすごい

・熱意がすごい

・集中力がすごい

 

枚挙に暇がない。だから、上記に挙げた一つをクローズアップする。

 

「高学歴になるために行った努力がすごい」

 

これでいいと思う。

だから、高学歴であることはすごいことではない。

その人の努力を称賛するのが良いと思う。

社会的に認められている地位に到達しているのは、自分のランクを上げることだと思う。

それは、より良い装備が出来たということ。

けど、装備する本人がうまく使えなければいけない。

だから高学歴であることすなわちすごいというわけではないと思っている。

 

「高学歴だから仕事できるんでしょ?」

「そんないい学歴なのにこんなこともわからないの?」

 

そうやって揶揄されることもあると思う。

けど、それを承知で選んだ道なのだ。

それを背負ってでも手に入れた場所なのだ。

 

この前、酔った勢いに任せて慶応卒の飲み会に乱入した。

別テーブルでまったく関係のない人たちだ。

新卒1年目の子たちだったが、なんとなく表情が違うなと思った。

けど、飲んで話すうちにこの人たちとおれの何が違うんだろうと思った。

コールをされ、おれは飲まされたがそれがなんだというのだろうと思った。

年上のおれに飲ませるというのが面白いとか、勝手に邪魔しにきた奴を撃退したかっただけとかいろいろあると思う。

けれど、大しておれとかわりゃしねえなあと思った。

おんなじ人間に対して、畏怖する存在ってもっと違う話だ。

学歴が違うからへりくだらなければいけない謂れもない。

ただ、その人の努力は必ず認めるべきだ。

要は、その人となりを見て尊敬できるならすれば良い。

そこに貴賤はあるのだろうか。おれはないと思う。

 

でも、「あいつ高学歴だからって生意気だなー」というやつがいればぶっとばしゃ良い。

高学歴だから生意気なんじゃない。そもそも生意気なのだ。それで良いじゃないか。

 

おれの逆襲は、「お前とおれはなーんも変わらんよ」

って言った時に相手が何言ってんだろうなって悪意なく笑ってもらうことだな。

 

Ⅳ、ナンパはボランティア

 

すごいタイトルだと思う。

実はこれ、とあるブログのタイトルなのだ。

 

ysp-np.hatenablog.com

 

ナンパ師であるYさんという方が書かれているブログだ。

ネットサーフィンをしていて見つけたブログで、奇抜なタイトルに惹かれた。

 

おれの感想を一言でいうと「人間」を見つめて続けていくことと変わらないと思った。

 

要するに、相手を考え、自分を見つめ磨き続ける。

セックスという結果はあるが、それについての考えもまた面白い。

自分をどこに置くか、相手はどういうことを求めていくかを常に探求していることにおれには思える。

ナンパという言葉に過剰反応し、これは冒涜だとかいう人がいたらちょっと違うと思う。

 

相手の警戒心を解き、すっと懐に入っては会話をする。

これって確かにとても恐ろしいし、丸裸にされているような気分だ。

でも、会話の中で自分を丸裸にさらけだせることってない。

だから、清々しい気分になれる。それはあまりにも甘美だ。しかし摂取しすぎると毒になってしまう。

 

知らず知らずで求めているときがある。誰か知らない人でいい。隣にいて話をしてくれる人がいてくれたらいいなあ。

その人が今空いている心をすっと埋めてくれたらなあ。

 

「ナンパはボランティア」

 

非常に面白いなあと思う。

 

Ⅴ、経験

「若いときの苦労は買ってでもしろ」

何言ってんだと思っていた。実際今でも思う。

苦労することが尊いのとではないと思っているからだ。

 

「俺が若いときはなあ・・・」

 

お決まりの説教文句を聞き流しながら右から左へ受け流す。

どうしてこうも自分の苦労を人に聞かせたくなってしまうのだろうな。

 

青二才ではあるが、自分なりの生きてきた軌跡はある。

誇りたいとか自慢したいとかそういうことではなくて、今まで生きてきた人生の結果が今にあるってだけだ。

だから、おれはこの人とは違うからと思って定例句ではじまる話は全部聞き流していた。

 

けれど、おれが今思うことは恥ずかしくて仕方がなかっただけだったということだ。

話を聞いてそんなこと分かっていると思うけれど、実際出来ていない自分。それを見せびらかすことはチンチンを振り回して町内を一周しながら「馬鹿でーーーす!」と吹聴して回る行為とさして相違ないと思っていたからだ。

 

確かにそうかもしれない。でも仕方がない。それが自分だもの。

ウェーイwwwww系の学生を横目で見ながら舌打ちするのも、おれは同じ土俵には上がれないことをよく知っているからだ。確かに軽蔑はするが、酔っていればおれだって変わりゃしない。何が偉いかなんて割とどうでもいい話になるわけだ。

 

今、自覚をして徐々にでもわかってきた。

経験。ああ、これ大事だなあ。

 

何かを説明するときに、説得力がない。

おれの生ハムよりも薄い人生の薄さをただただ露呈するしかなくなる。

 

「おれの場合はこうしたよ。何故ならこのときこう考えていたから。」

 

それだけでグッと強みが増す。伝わる。

相手に伝えたいという思いだけでは意味が無い。

だって、実際伝わらないと意味が無いんだもの。

そういうシビアさは経験を通じてのみ培われる。

 

実践をする。動く。始める。

 

失敗ばかりするドへたくそを鼻で笑うが、実際は逆だ。

始めてもない自分が評価することなんて出来ない。

 

「俺が若いころはなあ・・・・。」

 

だからこそ言いたくなるんだろうな。

土俵に立つために努力をした自分を改めて肯定しなきゃって。

 

でもおれは言いたかねーなあ。

自分が肯定してあげればそれでいいじゃないかと思えるくらいの自信を付けられるといいな。

失敗しようがなんだろうが、堕落しようがうんこだろうが、それが自分でそれでいい。

けれど、次に進もうとしてる。そんな自分が愛らしいで良いと思う。

それっていろいろな経験をしているからこそ持てる自信だ。

 

最初は失敗する。徐々にうまくなる。板につく。また新しいものに挑戦する。

 

傍から見れば、「こいつ何一つできてねえクズ野郎だな」と思うだろうけど

それでもいろいろなことを始められる。

 

経験を極めてしまえば諦観になるかもしれない。

 

諦めるって本来、「つまびらかにする」「明らかにする」という意味があるようだ。

そこまで行くと知る楽しみがなくなるのかもしれない。

だったら新しいことに移行するだけでいいんだと思う。

 

やらない理由ばかり探してないですか。

 

 

以上です。

おれがどんな人かというのが少しでも伝わればうれしいなと思います。

それでどんどん有名になってなんかすごいことなればもっと嬉しいです。

 

よろしくお願いいたします。